気づける人間
学校教育は「教え込む」「記憶させる」ことの繰り返し、と個人的に思っています。
もし、子どもたちのスポーツ現場まで「教え込む」「記憶させる」「間違いを指摘する」ことに偏ってしまったら、「判断する」「表現する」「気づこうと内に目を向ける」といった行為が鈍い人間に育ってしまうのではないかと危惧しています。
自分の体験から得た教訓、体験から気づいたことは、時に「教え込まれる」「内容だけを記憶する」ことで頭に入っている知識を撥ね退けて自分自身を救ってくれるような気がして止みません。
内容だけを記憶することは、一時的にそれを忘れてしまったとして、結果的に教わっていないと事実を勘違いして失敗してしまうことは残念なことです。
ふと思ったのですが、車の運転免許を取るために「教え込む」「記憶させる」教育だけだったとしたら…
当事者(運転者)でもそうでない(歩行者など)としても恐くないですか?
冗談抜きで、慌てると周りをよく確認せずにでたらめなパスをする選手を見ると時々思うんです。
「この子には車の運転をさせたくない…。」と
そうそう脱線ついでにこんな話しを笑
庭でたき火をしていた父親がもっと燃やそうと少量のガソリンをかけたところ、自分に燃え移ってしまった。それを見ていた子どもは2㍑のコーラを振ってから父親めがけて噴射し、父親は一命をとりとめた。
コーラが手元にあったかどうかは不明ですが、すばらしい発想ですよね
以上、脱線でした
PHYSICAL & BASKETBALL LESSON
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